粉々になったクッキー

カバンの中から粉々になったクッキーが出てきたときのがっかり感は、言葉にしがたい。クッキーは口のなかで割ることで美味しく感じられる。考えてみると煎餅もそうだし、ポテトチップだってそうかもしれないが、とりわけクッキーの粉々はつらい。なんでろう…。

最近、依存症の患者さんと接する機会が増えたり、アルコール関連学会に顔を出したりするうちに、依存症について学ぶ機会が増えた。かつて依存症は覚醒剤のような「巨悪」を想定し、その「巨悪」が脳を乗っ取る、というイメージがわかりやすかったし、実際そのイメージが広がった。ところが近年は、ギャンブルはお金が絡むので「巨悪」だったとしても、ゲーム、浪費、はては自傷行為や拒食症まで、依存症の概念にとりこまれることもあり、「巨悪」どころか、「悪」自体が何なのか想定しにくくなっている。

脳と依存症の研究者、廣中直行先生によれば、快を手に入れようとする「欲求の脳」と、状況を良くしようとする「制御の脳」が依存を作り出す、という考え方があるらしい。ギャンブルにのめり込むのは、「お金をたくさん手に入れたい」という「欲求の脳」が働くのかもしれないが、「負けた分を取り戻すぞ!」という「制御の脳」が働いているのかもしれない。実際、負けたときのほうが熱くなってしまっているところがあるだろうし、人生で一発逆転したい人のほうがギャンブルにハマっているようにも思える。

この考えの方がゲームや自傷行為に依存してしまう人の心理は説明しやすい。逃れられない苦しさやつらさが心に襲ってきたときに、自分の心以外の<他のもの>、自分の体やゲームに没頭することで、状況を一時的にコントロールできることは、「制御の脳」を充足させるには効果的だろう。

自分ではコントロールできないほどの〈他のもの〉に依存する、という現象のベースにあるのは、「快楽の追求」よりも、「苦しさつらさへの対処」という気がしてくる。矛盾するようだが、僕らは「計画通りに事を進めたい」ので、コントロールできる〈他のもの〉に依存する。だからクッキーも、自分の意志で、こういう割り方で噛み砕きたい。その一切ができない粉々になったクッキーは、やっぱり美味しいと思えないのである。どうせなら、自分の口で割れるクッキーをたくさん食べたい、と思う。

(umetsu)