制限と自由

16歳の頃、退院してデイケアに通うことになった。
いや、デイケアに通うことを条件に退院の許可をもらった。
デイケアに通わなければ、24時間、365日、なんの制限のない日々が待っている。

制限のなさを「自由」を表す人もいるが、実際の無制限というのは、何をしたら、どうしたらいいのか、足元が竦む状態であった。
内山節の『哲学の冒険』に出てくる主人公が”人は過渡期の人間でしかない。だから人には誰にもより美しい生き方を求めつづける自由がある”と、ノートに綴るシーンがある。梅本克己の言葉に感化された少年は人間の不完全さを明るく捉える。

心の自由というのはさっきのような不完全から来るのではないか。
無制限とはある意味完成系で、そこに「時間」や「義務」などの制限が入ることで人間は「あれがやりたい」「これがやりたい」と自由を求める。
制限といえば、障害もそうである。
わたしは脳の障害という制限を持っていることで、ステレオタイプの人より考えることについては貪欲に自由を求めているのではないか、
それが妄想や幻覚につながるのなら、納得してしまう。

もし、無制限が心の自由を奪うなら、宇宙という果てしないこの世界は動けないぐらい狭くて、
星を頼りに時間を作ることで人間は現世という自由を妄想してるだけなのかもしれない。

(tomoyo)