4匹目の猫、「はぎ(萩焼が由来。1才)」が来てからわが家はひさびさに<猫>を満喫している。「かんじろう(オス13才)」も猫らしい猫だったが、そろそろお年頃ということもあるし、もともと俊敏というわけではなかった。「せと(メス7才)」と「おとじろう(オス7才)」にいたっては、およそ猫らしいところがなく、猫じゃらしで遊ぶことがほとんどない希少なタイプだった。
「はぎ」はとにかく俊敏で、猫じゃらしを使うと高速で獲物を追うことができ、ジャンプ力も半端ない。しばらく遊んでいないと気に食わないのか、噛んでくる。猫じゃらしの標的は早く動きつつ、軌道が急速に変わることがあるが、それを追える猫の動体視力は一説には人間の約4倍あるという。それなのに、飼い主もぼんやりしか見えていないという猫の目は、近視(0.04〜0.3程度)だというのも面白い。
動いているものの方がよく見えるなんて、考えてみると羨ましい話だ。カフカがグスタフ・ヤノーホとの対話のなかで、普及しだした写真という技術を称賛して「写真は嘘をつかない」と言ったヤノーホに、「写真は視線をものの表面に縛りつける。そうやって写真は、隠れた本質を曇らせてしまうのがつねです。」と100年も前に言っていたわけだが、スマホやパソコンの写真や情報に縛り付けられている自分はどれだけ本質から離れているんだろう、と想像してしまう。
関連するかわからないが、kindleで読む本と、紙で読む本とでは、理解の奥行きみたいなものがまったく違って感じられる。kindleで読んだ本は意味が張り付いている感じがするが、紙の本は濃淡はあれども「動いて」感じられる。理解がゆっくりと染み込んでくる感覚は紙で読んだときのほうが強い。平らな板で読むと思考も張り付いてしまうようだ。
猫の目のようにもう少し動いているものに視線や思考を合わせるにしないとなと思うこの頃。