猫の鳴き声と喃語

猫はよく鳴く。高校の頃、夜中に野良猫が鳴く声が、人間の赤ん坊の声のように聞こえて外に見に行ったことがあるくらいだ。
ネコ科の野生動物は鳴かず、イエネコだけが良く鳴くらしいが、考えてみると、こんなに人間とのコミュニケーションのために音を発する生き物が他にいるだろうか。インコや犬のように、近い形で鳴く生き物はいるけれど、猫の鳴き声はちょっと異質な気がする。ちょうど、人間の赤ちゃんが発する喃語のような感じがある。

ジャック・ラカンによると、幼児が発する喃語は身体的な言葉であり、身体的な喜びとの結びつきが強いという。子供はまだ自分にしかわからないような原初的な(言語になっていない)呼びかけによって、空腹が満たされ、母の優しい返答や身体的な接触に包まれる。喃語はこの経験を喜びの源泉として機能している。

そして、いつまでも喃語で済むはずもなく、人は、他者あるいは社会とより良く意思疎通するために「きちんとした」言葉を体得する。それとともに、喃語の身体的な喜びは喪失していくという。私たちは、社会性を練り込まられている「きちんとした」言葉のなかを「大人として」生きているわけだが、もし、その忘れられた喜びである喃語を思い出させてくれるのが猫の鳴き声だったとしたら、人間にとって猫は、最高に愛らしいパートナーとなり得るのではないか。

そんなこんなで、膝に乗ってニャアニャアとなく我が家の唯一のメス猫「せと」が、とにかくかわいい。リモート会議や仕事の電話という圧倒的に入ってきてほしくない場面にこそ、自分の発言をしたがる。人間同士の会話に加わりたいのもあるかもしれないが、その鳴き声が「いかに人間を惹きつけるか」をちゃんと知ってるんじゃないかと思うのである。

(umetsu)
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※ジャック=マリー=エミール・ラカン:フランスの哲学者、精神科医、精神分析家。