流れ

医療機関の職員として、怒っている人と接する機会はそこそこあり、そこをなだめるのが仕事ととも言える。実際、怒っている人を目にすると、自然と体が動いてしまう。職業病である。先日、酔った友人同士の殴り合いの喧嘩に思わず体を入れてしまった。そしてなだめる、いつもの仕事だ。

自分も含め怒った人は、ちょうど自分自身に振り回されて、急流に流される人のように、どうにも手の出しようのない、「説得が効かない状態」になっているのが通常だ。別に悪いことではないし、不思議でもない。感覚的な話だが、まずはその流れを穏やかにするようにあらゆる気遣いをする。特に、怒っている者同士で刺激しあって、ちょうど重力のように引き合う力が増幅してしまうので、物理的な距離を置くのが、とても大切。よくスポーツの乱闘で双方を引き離しているが、説得が通じるはずがない状況であれば、当事者同士を離してしまうのが、最初にとるべき行動となる。

人同士の喧嘩だけでなく、個人のなかでも怒りは同じような性質があるように思う。怒りだけではなく、感情自体がそうかもしれないが、強い感情同士はとてもくっつきやすくて、それが大きな塊になりすぎると、制御不能になる。こうなると自分ではどうしようもなくなるので、それぞれの感情に「部屋」みたいなものを作って、そこに居てもらう、というのはちょっとしたコツのように思う。

と言いつつ、矛盾してしまうけど、自分の感情をコントロールしようと思いすぎることも危うい。結局、自分も他人も制御できないのが当たり前で、いろんな要素をくっつけて考えたり、結論に行き着かせようとしすぎないのが良いのかな、と思ったりもする。大変なときほど、自分のなかの「流れ」をゆるやかに保っておきたい。

umetsu