今夏はとくに猛暑が厳しかったけれど、山積した仕事をこなしていたためにクーラーの中で過ごすことが多かった。暑かったわりには、あるいは暑すぎたせいで、あまり夏を満喫できなかったように思う。ただ、そんな忙しさにかまけていたこの夏でぽっかり、じっくりと過ごす時間ができた。
まだ猛暑の只中だった9月のはじめ、2週間の入院を経て、父が他界した。
ゆっくりと進行していた認知症と足腰の衰え具合から見て、少し前からもう先は長くないかなぁと、覚悟のような、諦めのような気持ちにはなっていたので、来るべきものが来たという感じではあったけれど、人はどんな状況でも、多かれ少なかれ後悔の念というものを抱いてしまうらしい。早々に諦めてしまった娘は、父が大好きだった行きつけの居酒屋に車椅子に乗せてでも連れて行けばよかった、とか、もっと早くに温泉旅行でも企画すればよかった、もっと一緒にお酒を酌み交わして語り合えばよかった、などと、とても後悔している。
でも、看護師さんが仰ってくださったように、コロナ禍で切ないお別れをする人が多かっただろうなかで、「近年稀に見る良きお別れ」だった。面会に行ける日時は少なかったけれど、最期には母とわたしの家族とで(姉には電話を繋ぎ)ゆっくり立ち会え、父は本当に静かに逝った。
亡くなる前に最後に行った面会で、父と会話ができた。総入れ歯を外されていたので大半は聞き取れなかったけれど、父らしい旧友への憎まれ口やわたしの夫と息子への気遣いは、認知症にもかかわらずはっきりとしていて、布団を直したわたしには、びっくりするくらい大きな声で「ありがとう!」と言った。思い返すと「また来るね」「また来てね」が最後の会話になった。
北陸在住の姉がすぐに上京してきてくれて、葬儀までの5日間ほどは、父の安置されている葬儀社に一緒に行ったり、実家でごはんを食べたり、また葬儀社に行って父をスケッチしたりした。仕事のスケジュールを修正してもらい、思いがけずぽっかりと空いた時間を、父の色々なことを思い出し、家族で話し合いながら、じっくりと過ごすことができた。それはとても良い時間だった。
「この世を去る」とか「他界する」という表現って良いなと思う。死んで無くなるのではなく、「あの世」があり「違う世界」に行く。思いを馳せて安堵できる世界観は残された者にとって優しく、いつか自分が行くときにもきっと心強い。
そういえば、父の病室からは青空がよく見えて、束の間だったけれど一緒に眺めた。またあの世で会えたら、今度こそゆっくりお酒を飲みましょう。
(sayo)