よく自分の経歴から「人の痛みがわかる人」と言われる。
実際のわたしはそうでもない。
みんなと肉体や、育った環境も違うし、軽々しく「人の痛みがわかる」なんて言えない。
それだけその人の痛みは計り知れないことだけは知っているつもりだから、
そう言うことがわたしにとって誠意でもあった。
だからか、心の中で「自分の痛みも誰もわかりやしない」と思っている節がある。
そんな風に生きていると誰にも些細な本音を言うことや相談ができなくなった。
死にたい時も、そうだ。
だんだん喉が詰まってくる。
むかし「精神科行ってる人は”死にたい”って言えるからいいよな」と言われたことを思い出してしまった。
そうでもねーぞ。
今は辛い状況を、感じないようになればいい。喉の異物を抓りながら
自分の声が、感情が、出なくなっていくのを見届ける。
「わかる」というハグができない。そこから広がる人の営みの美しさを知っておきながら。
「人の痛みがわかるでしょ」ってほめ言葉のようなものが、メビウスの帯のように巡って巡って、わたしをひとりにさせている。
今日もまたダークサイドに陥っている自分の現象を「定期案件」と呼ぼう。
(tomoyo)